張慶余「冀東保安隊通州反正始末記」(『天津文史資料』第21輯所収)要約
・1933年5月塘沽停戦協定成立後、「蔣政権は河北省政府主席の
于学忠に密命を発し、河北省政府の名義で五つの特警総隊を結
成させた。訓練後冀東に入り、地域を警備した」。
・張慶余は河北特警第一総隊長、張硯田は第二総隊長。「その
営長と連長は第51軍から抽出され、排長と班長は私と張硯田が
団内から選抜した。特警総隊は各総隊で5000人余り」。

・第51軍が移駐。「第51軍が甘粛へ移駐するとき、私たち二個総
隊は地方特警により正規軍とみなされなかったため、帯同するこ
とができなかった。于学忠は河北省を離れる前、我々を密かに呼
び出し、『しっかり軍隊を訓練して、後の命令を待つように』と告げた」。
通州事件殉難者を弔う慰霊塔
・(冀東政権成立後)「私は副官の孟潤生に親書を託し保定の商震にどう対応すればよいか尋ねたところ、商震は孟潤生を通して私に「いま殷汝耕と決裂するのはよくない。しばらくしらを切りなさい。私が責任をもって政府に説明する」。
*商震は河北省政府主席、殷汝耕は冀東政権指導者
・(冀察政権成立後)「私と張硯田は内緒で張樹声に宋哲元を紹介してもらい、宋に従って抗日をすると表明した」。
*張樹声は可老会員、宋哲元は冀察政権指導者
・(河北省政府主席の馮治安が張慶余の腹心劉春台に伝えた)「現在我が軍が日本軍と停戦するか戦うかは決めていないので、張隊長にしばらく動かないよう伝えてほしい。我が軍が日本軍と開戦するのを待って張隊長は不意をついて片方で通州で決起し、片方で豊台を側面攻撃すれば挟撃できる」。
・(細木通州特務機関長に対し張慶余が)「私たちは兵士出身で学がないので軍用地図が読めない。しかし、我々を信頼して通州の守備を任せてくれれば、日本軍と協力して第29軍を打倒する。しかし、いま我々の兵力は少なく守れる保証がない。意見を言 わせてもらえば、各地に駐屯している保安隊を通州に集中させて待命させ、そのあと攻守を検討するのはどうか」。
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